EARL SLICK AND LISA RONSON    

4th May 2016

 

Q:アール、アルバムの事を振り返りたいのですが、参加メンバーとはどのようにして出会ったのでしょう?そこのところを話してほしいのですが。

アール・スリック(以下ES):思い出してみるね・・・そう、僕は大のストーンズ・ファンだったんだ。それで3年前にバーナードの作品で親しくなったんだ。一年に一度、ロックの殿堂で「ミュージック・マスターズ」と呼ばれているシリーズがあってね、ストーンズは既に偉大なバンドとしてこれを受賞していたんだ。その一年前には僕がチャック・ベリーのナンバーを演奏したりしていた。このセレモニーに招かれるには、ちょっとした実績が必要でね。僕は以前、チャックやキースと僕のレコードで共演したことがあって、ミックとは、彼がデヴィッド・ボウイとやった「Dancing In The Streets」で一緒にやった。そういう繋がりがあったから、バーナードにも会うことができたんだ。凄い会合だったよ。ボビー・キーズがいたし、マック(イアン・マクラガン)もそこに居た。もうこの二人でも十分だったのに、サラ・ダッシュもメリー・クレイトンまでそこに居たんだ。それで彼らが僕とバーナードをまずステージに上げたんだよ。ステージに上がるやいなや、もうフィーリングはバッチリさ!僕ら二人はすごく気が合って、それからもいくつかのイベントを一緒にこなしたんだ。それでアルバムに参加してくれないかと声を掛けたんだ。ボウイの『Station To Station』のやり方に感化されてね。というのも、デヴィッドとやったレコードではすべてサウンド面で僕の意見を採り入れてくれたんだ。だからそういう風にやってみようと思った。でもレコード会社は別のボウイ風シンガーを求めてきたから、僕は断わったのさ。一旦それをやってしまったら、もはやその路線からは抜けられないからね。ボウイが一緒にやるわけじゃないんだから。まだ彼が病気になる前のことだよ。それでもう一度仕切り直した。心を広く持ってね。柱となるボーカリストの選択は間違わなかったからね。シンガーなしには何も始まらなかったから。

 

Q:リサ、アールについての最初の印象はどうでした?

リサ・ロンソン(以下LR):スタジオでアルバム『Emperors Of Medieval Japan』(2015年11月リリース)をレコーディングしていた時のことよ。リーヴス・ガブレルズがやって来て、参加してくれたの。アールはちょうどオフで、リーヴスの所に来ていたの。それでリーヴスが「俺はちょっとセッションに参加するんだけど、一緒に来るかい?」って言ったらしいの。するとアールは「もちろん!」ということになって、来てくれた。彼は私のことを知らなかったわ。

ES:実は、君がもっと幼い頃に一度会ってるんだけどね。憶えてないだろうけど。リーヴスが誰のセッションかを言ってくれなかったのは奇妙だったね。僕も敢えて訊かなかったし。でも彼女に会って、「これは何か僕に馴染むな」と思ったんだよ。それで一緒にやることにしたんだ。「君のファミリー・ネームってロンソンだっけ?」って訊いた記憶があるよ。

LR:そうだったわ!

ES:だったよね!

LR:それで、「この曲をもっと盛り上げない?」って言ったのよね。それでアールに参加してもらって、見事な形になったのよ。

 

Q:アールの目下のところの最新作は、2003年の『Zig Zag』ですが、未発表の佳曲をいくつもストックしていますよね?それらを入れたニュー・アルバムの可能性はないんでしょうか?

ES:テープ缶にはアルバム2枚分の曲が眠っているよ。でもそれをどうするかはまだ分からないな。

 

Q:何か問題でもあるんですか?

ES:ああ。

 

Q:あなたがこの業界に入った頃とはずいぶん変わりましたよね。リサはあなたの次の世代になります。最近の業界のことをどう思っていますか?

ES:10年前、20年前、30年前、40年前、そして50年前には、そのときどきで業界に対する不平不満はあったと思う。そして今もまだ不平を言っているというわけさ。新しい動きが出てきたら、「何だ、この糞は?」って言う。でも頭の中では、そういう動きに合わせた方がいいのかなと思ってもいる。レコードの売上のことも一つの要因だ。でも大きく変わったことの一つは、ファンをどうして作るかってことだね。レコードを買ってくれるのは結局ファンなんだから。リサの「Emperors」のように、ファンは曲単位で購入する。それで十分だ、必死に作ったアルバム全部は別に要らない、と思われることが問題なんだよ。

 

Q:リサはどう思っていますか?ソーシャル・メディアもお得意でしょう?

LR:ええ。物事が変わった、変わり続けているということについては、アールの意見と同じだわ。音楽が好きなら、時代に合わせていくしかない部分もあると思うの。もう計算して生計を立てていくことなんてできなくなっているわ。お金目当てにこの業界に入ってくる輩を全部追っ払わないことにはね。安寧できる場所を早く確保しないとだめよ。そういう場所こそが、お金なんて気にせずにクリエイティヴな機会を与えてくれるから。

ES:そういう見方をしているんだね。僕が出てきた頃からやっているような奴にはそれができないんだ。幸いにも僕にはできたけどね。日銭を稼げるだけの仕事やコネは十分あるんだよ。でもレコードの売上となるとどうかな?それは容易に予想できるというものじゃないからね。それも変わってしまった。あらゆることがね。どうやっていこうか、考えているところさ。12週間後には出したいと思っているんだけど、何とか頑張らなくちゃね。1曲は凄くいいんだけどね!

 

Q:私はあなたを1977年の6月にレスターのディモントフォート・ホールで初めて観たんです。イアン・ハンターの「オーバーナイト・エンジェルズ」でした。イアン自身が音楽的という意味ではなく、出さなきゃよかったとコメントしたレコードになってしまいましたが、あれにあなたは参加していました。あの時のツアーはあの場にいたイアンのファン全員を惑わせるものでした。それはバンドがしっくりいってなかったからでしょうか?

ES:僕はデヴィッド・ボウイの時と同じようにアプローチしたんだよ。メンバーの誰もがそうだったと思う。レコードを作ったり、ツアーしたりする時、まず自分の生活がそれに拘束される。そしてアルバムやツアーが形になっていくんだ。それだけだよ。当時の彼は大手マネージメントとの問題を抱えていた。まさにツアーが始まったタイミングでね。率直に言えば、あのレコードの大部分はもっといいものにできたと思うよ。

 

Q:でもあなたは十分ロックしていましたよ。バンド全体もね。

ES:いや、そうでもなかったんだ。「England Rocks」ではビル・プリンスが他の曲を手掛けた奴(ロイ・トーマス・ベイカー)よりはいい仕事をしたと思うけどね。

 

Q:その通りですね。

ES:オーバープロデュースだったね。それが悪かったのかどうかは分からないけど、それはイアンの方針だった。議論の余地はなかったんだ。僕はあの時の状況を把握していなかったからね。気の毒なのはファンさ。がっかりさせてしまった。それに僕の想い出も傷ついた。『Young Americans』のいい想い出が台無しになってしまったよ!あのレコードは気が進まなかったね。

 

Q:あなたはギター・コレクターですよね。77年のツアーで使ったホワイト・フィニッシュのレスポールはまだ持っていますか?

ES:あれは盗まれてしまったんだ。あれは『Station To Station』で使ったギターだった。あのセッション中にデヴィッドが持って写っている写真があるよ。探してみれば見つかるよ。あれをイアンのセッションでも使ったんだ。ニューヨークでのリハーサルの時にね。その時にローディーがメンテをしてくれたんだ。

 

Q:よく憶えていますよ。白いレスポールを見たのは初めてでしたから。

ES:あれがどんなモデルだったか知ってるかい?20周年記念モデルだったんだ。実際には22周年の時に作られたんだけど。第一号機を分けてもらったんだ。今じゃすごいプレミアが付いていると思うよ。

 

Q:リサ、あなたの初ステージはいつでした?

LR:‘シークレット・ヒストリー’というニューヨークのバンド時代ね。でもそのもっと前の6歳くらいの時に、イアン・ハンターに招かれて「Lisa Likes Rock ‘n’ Roll」でステージに上がったのを憶えているわ。抜群のタイミングで「私のパパよ!」で叫んだわ。何千人のオーディエンスに向かってね。今考えたら恐ろしいことよね。

 

Q:アドレナリンの分泌が尋常じゃなかったでしょうね?

LR:凄いことだったわ!6歳の子にはね。私のママが「早く出て行きなさい!」ってけしかけたの。

 

Q:いいお話で締まりました。ありがとうございました。

ES:どういたしまして。

LR:ありがとう。