SHAKATAK    

2016年8月1日

ビル・シャープ&ジル・サワード

 

音楽について

 

Q:ようこそまた日本へ。来日はもう何回目になりますか?

ビル:今回で42回目だよ。一年に2回来た時もあったからね。驚くべき回数だね。

 

Q:ニュー・アルバムについて何か伝えていただけることはありますか?

ジル:日本ではリリースされたばかりね。37枚目のアルバムになるわ。

 

Q:36年のバンド・キャリアで37枚のアルバムですよね。ここまで多作なバンドは他に思いつかないですよ。どうしてこんなことができたのでしょう?

ビル:80年代、初期のリリース・ペースはもっと凄かったんだよ。アルバムにはインスト・パートが多かった。でも80年代末期にはヨーロッパ向けによりポップな方向性にシフトしたんだ。でも日本のポリドール・レコードはもっとインストを重視してほしいと言ってきたけどね。だから一年に2枚のアルバムを作ったりしたんだ。スタジオに篭りっきりだったね。2、3年ツアーに出てたら、ギタリストのキース・ウィンターが体調を崩してね。そこでスタジオ・ワークを優先したんだ。だからレコードもいっぱい出せたというわけさ。今は2年おきのリリース・ペースだね。

 

Q:バンドには曲が書ける人が多いのが助かっていますよね。

ジル:ええ。全員が書けるから。しかもいい曲をね。たまには共作したり、他の人と組んだりしながらね。

 

Q:書いた曲はすべてレコーディングするのですか?

ビル:いいや。今度のアルバムに関しては、できた曲の半分を採用したんだ。ベストなものを選りすぐったんだ。

 

Q:シャカタクの未発表曲というのは、いつか日の目を見るのでしょうか?

ジル:考え中よ!

ビル:誰もがリリースしているよね?

ジル:もちろんライブでセットを組む段になると問題も出てくるわ。やりたい曲はたくさんあるし、アルバムもいっぱいあるから。それを75分のセットに収めるにはね。

 

Q:どうやって決めるのですか?

ビル:ファンが聴きたい曲があるだろうし、今夜みたいにショーが2回に分かれている場合はニュー・アルバムから4曲も披露できる。新曲を演奏するのは簡単だけど、往年のナンバーというのもファンは聴きたがるからね。ポール・マッカートニーのコンサートに行ったのに、ビートルズ・ナンバーをやらないみたいなことは有り得ないだろ?

 

Q:あなたがたのアルバムは大抵日本では手に入ります。あなたがたはそもそもいつ、どのようにして日本でウケるようになったのですか?

ジル:考えてみれば不思議よね。

ビル:アルバム『Night Birds』をリリースしてからイギリスをツアーしていたんだ。1983年の初め頃だ。その時、マネージャーが日本に行ってみないか、と言ってきたんだ。日本の状況なんてまったく知らなかったから、かえってワクワクしたね。何の予備知識もないまま来日した。アルバムはとっくの昔に出ていたけどね!東京での7公演はすべて完売だった。ファンの反応はちょっとビートルマニアぽいところさえあって、街中で追いかけられたりしたよ。特にアルバム『Night Birds』のナンバーが人気で、35年後の今でも聴きたいと言ってくれるファンが多いよ。僕らとファンを結びつけてくれている曲だね。もちろん何度も来日しているからそういう絆も生まれ、友人もたくさんできたのだろうけどね。素敵な所さ、日本は。

 

過去を振り返って

 

Q:ビルさん、ビルさんとゲイリー・ニューマンとのコラボなんて意外なものでしたが、ファスト・エディ・クラークとのコラボも想像を超えていました。あれはどのようにして実現したのですか?

ビル:僕たちのマネージャーが同じ人だったんだ。そのマネージャーはオジー・オズボーンなんかのへヴィメタル系のアーティストの世話をしていた。それで彼の一派というのがいて、その一人がエディだったんだよ。エディは強烈な個性でね、感情の起伏が激しかった。当時はヤクをやってたと言っていたから、そのせいだと思うけど。とにかく僕たちは意気投合して、「一緒にアルバムを作らないか?」ということになったんだ。それから彼とちょくちょく会って、一緒に曲を書いた。当時、彼は歌わなかったのだけど、ボーカルをやりたがっていて、プロデューサーとして僕に訊いてきた。歌いたいならそうすればいいと言ったよ。彼の思いを表現した歌詞だからね。いい声を持っていたし。ちょっとイアン・ギランぽいところもあったけど、エディにはエディの個性があった。制作には苦労したし、リリースされてもそれほどヒットはしなかったけど、とても素晴らしい経験だったよ。いいブルース・アルバムだった。彼は一流のブルース・ギタリストだし、それをあのアルバムでは証明している。彼の中にはブルース、ロックの歴史が息づいているし、多くの先達から学んだことも多かったんだ。

ジル:あのアルバムのバック・コーラスは素晴らしいわよ(笑)。

ビル:ああ、ジルがコーラスをしたんだった。僕が昔からロックを聴いて育ったように、ジルもロックを聴いてきた。その後、ジャズの方に行ったけど、二人ともロックがルーツなんだ。

 

Q:ジルさん、私はグラム・ロックのファンなんです。あなたはマーク・ボランのトリビュート・アルバムで「Children of the Revolution」を歌っておられました。あの曲を選ばれた理由は何だったのですか?

ジル:私が選んだんじゃなかったのよ。業界の繋がりという感じで、私たちの友人でもあるプロデューサー、ニック・スミスがあれを手掛けていて、ミュージシャンを集めたの。それで私に「興味ある?」と訊いてきたのよ。あんな風に歌うことになるとは思ってもみなかったわ。あの曲を提示されて、「ええ、やってみるわ。」という感じだったの。なるべくしてなったという感じだけど、とても楽しかったわ。

 

Q:ジルさん、『Ooh Ya』はブランディ時代の唯一のアルバムですよね。オランダ盤しか見つけられなかったのですが、他にもあるのでしょうか?

ジル:いえ、それだけだと思うわ。シングルは「Ken Gold」だけね。私もそれしか知らないのよ。ポリドールと契約して、あれを出したの。キャシー・フィーニーが書いたいい曲だったわ。彼女もまだ現役でやってて、‘ネヴァー・ザ・ブライド’という素敵なバンドにいるわ。

 

Q:私はモーターヘッドのファンでもあり、シャカタク、セックス・ピストルズ、ディープ・パープル、ショワディワディ、ベイシティ・ローラーズのファンでもあります。私の世代は70年代、80年代に音楽を聴いて育ってきました。最近の若者は我々ほどいろいろなアーティストを聴いていないと思いませんか?

ジル:そうね。

ビル:いろいろなものを聴こうとしないね。僕自身は今ではあまりいろいろなものは聴いていないけど、当時はいっぱい聴いたからね。あらゆるポップスを聴いたけど、サウンドはみんな違っていたね。

ジル:インターネットでいろいろ聴けるはずよね。私の息子なんて、聴けるはずのなかった時代の音楽をいろいろ聴いているわよ。息子の聴いているものを見ると、ザッパからリトル・ミックスまであったわ!すごいジャンルの幅よね。

ビル:(ジルに向かって)スカイみたいなものだろうね。900チャンネルもあるけど、20チャンネルくらいは聴けるよね。ダンス・ミュージックはほとんどオート・チューンを使っているように思える。あれは癖になるね。

ジル:(ビルに向かって)そうね、あれにはね。(「Dark Is The Night」のオート・チューンを口真似する)

 

Q:ジルさんはオート・チューンが上手いですね。

ジル&ビル:(笑)

 

その時々のこと

 

Q:あなたがたと同じ時代に活躍した人たちはほとんど消えてしまいましたが、あなたがたは生き残っています。それはなぜだと思いますか?

ジル:分からないわ。私たちはバンド外の人とはあまり交流せず、この4人でがっちりまとまっていることが多いの。人はそれぞれに自分の分をわきまえているものでしょ。だからそういうことはたまたまだと思うわ。私たちはメンバー同士でリスペクトし合っているの。

ビル:ファンについては、彼らと一緒に過ごすことに価値があると思う。コンサートではファンに会えるし、それが楽しみでもある。日本でもファンの人たちと親しくなって、単におしゃべりするだけじゃなくて、コンサート後に一緒に飲みに行ったりもしたよ。彼らは正当なお金を払って僕たちを観に来てくれているんだから、2、30分彼らと話す時間を持つことは余計なことだとは思わないんだ。ファンはすごく喜んでくれるよ。できることなら、これからもアルバムを作って、それをファンとともに分かち合いたいね。それが僕たちの望みなんだ。他には何もないよ。

ジル:そう、それだけ!

ビル:引退の予定はないよ。もう引退したらどうだ、と言ってる人が何人もいるのは分かっている。でもこの世界にいるとね・・・

ジル:できないわよね。

 

Q:本当に引退したミュージシャンなんて知りませんよね。

ジル:いないわね。

ビル:健康上の理由なら有り得るけどね。キース・リチャーズがやれてるなら、僕たちもやれるよ。

 

Q:音楽業界は、あなたたちがデビューした1980年8月から変わってきました。昔と今の業界についてどう思われますか?また、将来はどうなっていくと思いますか?

ジル:私たちのデビュー当時とはまったく違うわね。でもいい方向に変わってきたと思うの。今もし私がデビューしたなら、夢いっぱいよ。ただ歌を歌って、ピアノを演奏してカセットに入れていた時代に比べて、今はとても素晴らしいサウンドでそれを実現できるテクノロジーが格安で手に入るのよ。でも競争は激しいけどね。

ビル:僕はジルの意見とは正反対だよ。

ジル:私たちの過去にはこのことに悩まされてきた。私はいい方向に向かっていると思うわ。

ビル:僕には破滅に向かっているように思えるね。

ジル:あらまあ・・・

ビル:スポティファイは止めさせなきゃだめだ。

ジル:(ビルに向かって)あー、それには賛成よ!

ビル:今日、僕たちの出版者と昼食を摂ったんだけど、ありがたいことに日本ではスポティファイが無料なのに、まだタワー・レコードがあって、CDが売れているんだよね。スポティファイに10ポンド支払うと、スポティファイにコメントを書き込むことができて、それに2000万アクセスがあるごとに53ペンスが稼げるんだよ。

 

Q:そんな状況になっているんですか?

ジル:ええ。

ビル:You Tubeでは1000万ビュー獲得すれば100ポンド稼げるんだ。ビジネス的観点ではこういうことで業界はだめになる。あらゆることが起こる可能性はあるし、インターネットのパワーも凄いんだけど、僕は反対だね。これからどうなっていくのかな?

ジル:(ビルに向かって)でもインターネットなしでは日本でも私たちの活動を知ってもらえないわよね。だからツアーも続けられるわけで。

ビル:(ジルに向かって)ああ、でもフェイスブックやツイッターでもできることさ。スポティファイじゃなくてもね。レコード会社はスポティファイの10%を保有していたりするし・・・・

ジル:私たちはどんな状況下でも常に騙される危険を感じているわ。

 

Q:あなた方は今も現役で、音楽で生計を立てておられます。それが最良の道だと思いますから、是非続けていただきたいです。でも長くやっていると、ツアーでの強烈な思い出もあるものですよね。あなたたちにとって忘れられないコンサートはありますか?

ジル:心に残るコンサートはあったわよ。ビルに言わせれば、それは日本での初公演だそうなの。あんなに反響があるとは思ってもみなかったわ。ステージに出て行って、閉まっている幕の後ろに立った時には何も聞こえなかったの。だから最悪だと思った。でも幕が上がると、オーディエンスの大喝采が押し寄せてきて、息を飲んだわ。

ビル:もう一つの素晴らしいコンサートがあったよ。1993年にアパルトヘイトが終わって以降、初めて僕たちが南アフリカでコンサートをした最初のバンドだったんだ。ケープタウンで7公演したんだけど、最初のコンサートでは5分間、演奏を始めることができなかったんだ。拍手が収まらなかったからさ。僕たちの後ろにいる誰かに送られた拍手かなと冗談に思ったくらいさ。凄かったよ。ケープタウンでは特に僕たちのファンが多くてね、80年代もずっと支持してくれたんだ。

 

Q:みんな涙ぐんでいたのではないですか?

ジル:実際にそうだったわ。

ビル:最悪だった思い出も考えていたんだけど、初期の北ウェールズのライルでのコンサートなんて、面白かったよ。

ジル:ああ、あれね!(笑)

ビル:会場に二人の男がやって来たんだ。2曲演奏したところで、「楽しいね。もういいから俺たちとバーで一杯引っかけようや。」って言うから演奏を止めたんだ(笑)。コンサートしてはむちゃくちゃだったけど、楽しい夜だったよ。

ジル:最悪だったコンサートを思い出したわ。ロシアでの大晦日コンサートよ。ビルのためのプライベート・パーティだった。(ビルに向かって)憶えてる?

ビル:いや、ウォッカを飲み過ぎてたから憶えてないよ(笑)。

ジル:客はまったく私たちに関心がなくてね。富裕層が集まったプライベート・パーティだったから、バンドなんてどうでもよかったのよ。客は横柄で不作法だったわ。ジョージが無礼な客を罵ったの。すると、客は私たちのバンドのユダヤ人ギタリストに豚の丸焼きを載せた皿を投げつけたのよ。こっちも酔っ払ってたけど、修羅場だったわね(笑)。

 

Q:ロシア、リトアニア、セルビア、いろいろ回っていますよね。

ビル:ブルガリア、メキシコ、ドバイ、オランダ、ドイツもね。僕たちはラッキーだったと思わない?いろいろあったのに、まだ自分たちのやりたいことをやってお金をもらっているんだから。

 

Q:またお会いできて良かったです、ジルさん、ビルさん、どうもありがとうございました。

ビル:どういたしまして。

ジル:ありがとう。